Abundzu

Lebe gehorsam

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ほどよく愛してる

※ママとダーリンをね。 坊ちゃんは溺愛!

 

 

むかーし、むかし、昔の話

 

今から30年以上前、

春先の午前中に起きた話。

 

信号待ちをしていた車に、70㌔のスピードで突っ込んできた車が居る。

激突された車は交差点内に入り、運転席側をさらに追突され横転。

被害者:40代女性

 

事故処理の為、3時間以上 国道は通行止めとなる。

 

70㌔のスピードで、突っ込んだ車の運転手は18歳の若い男性。

車の免許を取得し隣に女性を乗せルンルン気分。(想像)

缶ジュースに残っていた「つぶつぶオレンジ」の粒を取ることに夢中になり

前方を見ていなかった。

保険は自賠責のみ。

※30年以上前の自賠責保険

 

青信号で走行中の車は急ブレーキを踏むが間に合わず。

女性:30代

 

被害者、40代女性は病院へ搬送され緊急手術となる。

頸椎損傷、腰椎損傷、肋骨骨折

身体障碍者1級となる。

これ、実話でうちのママの話

 

 

昨日まで出来た事が できなくなる。

自分の足で歩き、

友人と旅行へ行き、

好きな物を食べ、

好きな裁縫をし、

大好きな娘を抱きしめる。

 

出来ていた事ができなくなる。

 

なんのために生きるの?

 

誰かに助けてもらわないとトイレも行かれない。

誰かに助けてもらわないとお風呂も入れない。

誰かに頼らないと 生きて行かれない

 

ねぇ、私、

なんのためにいきるの?

子供や貴方の負担になるばかりなら、

あの時死んだ方がよっぽど良かった。

今の状態は辛すぎる。

 

 

母さんが 父さんに言った言葉らしい

 

 

「娘や、私の為に生きてくれないか」

「生きているだけで良い、負担になっても構わない。私達の為に生きてくれないか」

 

 

パパが私に言った言葉。

「お前は大学を辞めず日本に戻るな。良い企業に就職し母さんを喜ばせてやってくれ」

 

 

家族の為に生きろと言われても 中々前向きになれずにいた彼女。

食も細くなり、笑顔もなくなり、俯き涙を流す。

 

私は大学を辞め日本に戻ろうと決意した時、阪神淡路の震災が起きた。

彼女の親友が子供三人を残し亡くなった。

ママの入院中も病院まで来てくれた家族ぐるみのお付き合い。

 

嘆き悲しむ子供達

救助まで掛かる時間の長さ

携帯電話なんて今ほど普及していなかったから現状が分からない。

子供達と連絡が取れたのも、震災から10日以上経過してからだと言う。

 

行方不明になったラブラドールのナナちゃん

見つかったのは約一か月後。

 

残された家族の悲しみを目のあたりにし、ママは少し変わった。

震災の事や、事故の記憶を思い出すには辛すぎて会話にならないが。

 

 

若い時、18歳の若造兄ちゃんをえらく憎んだ。

今でも許せない思いがあるけど。

それでもママが

「障害者にならなかったら ぶーこちゃんと一緒に暮らせなかったね」

って言う。

「一緒に暮らせて楽しい」って、ママが言うから 

少しだけ若造兄ちゃんを.......やっぱ無理!

 

 

ママが生きててよかった。

こころから思う「ありがとう、ママ」愛してるよ。

 

 

 

 

生きる事に悩んだら、生きる事が辛くなったら............

なにもアドバイスなんて出来ないけど、

でも、生きなきゃダメなんだよ。