Abundzu

Lebe gehorsam

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無関心:車椅子と私

※私の母は外出をする時、車椅子を使う。


30年前、私の母は交通事故に遭い身体障害者1級になった。
当時の私はまだ若く、アメリカに居る祖母の元で暮らして居た。
事故の事を聞き、慌てて日本に帰国した私と祖母。
集中治療室に居る母の身体には沢山の管が付いており、
母を失う恐怖を感じた。

医師に告げられた言葉は「自力で歩く事は不可能」
看護婦は表情も変えず、今後の治療方針を淡々と説明する。
病院での入院が約半年から1年
リハビリ入院が1年~3年
それでも左半身の麻痺は治らないと。

同じ病院で入院している患者さんの家族から
「命が助かっただけでも良かったね」と言われた。
あの時 私は何を思ったのだろう。
なんて答えたか記憶に無い。


母が麻酔から覚めるまで私は願掛けをしていた。

【神様仏様キリスト様、どうか母さんをお守りください。
 母さんの意識が戻るまで私はご飯を食べません】
と。

食事をしない私に親戚は無理にでも食べさせようとした。
祖母も食事をしなかった。
否、食べれなかったのだよ。
私と祖母は大切な人を失う恐怖に襲われていたから。

祖父は既に他界。
父は海外赴任中ですぐに連絡が付かず。
心許無い私と祖母。
 
怖かったなぁ。もう思い出したくないな。


リハビリ施設に入所してから3年経過した頃、
亀より遅いが1歩、1歩、ゆっくりと 歩けるようになった。 
私の誕生日まで立ち上がれるようになった事を秘密にしていた母。
この時の出来事は書けない。
切なすぎて、苦しすぎて、言葉にも文字にもならない。
感情が先に出て涙しか出てこない。中途半端な説明で申し訳ない。


事故から30年経過した今では、杖をつきながらゆっくりと歩けるようになった。
外出する時は車椅子が必要だが、それでも自分の足で歩こうとする。
彼女、母はとても頑張って居る。
(大福ばかり食べて、2型糖尿病になった事を除けばだが)


障害者の横暴な態度で世間では色々言われているが、
私たち家族は感謝を忘れていない。
県外へ出る時は可能な限り車を使うようにしている。
以前新幹線で出かけた時、どこの駅員さんもとても優しかった。
重い車椅子を持ち上げて運んでくれた。
申し訳なくて、心苦しくて、私達は出来る限り電車を使う事をやめた。
もちろんバスも、タクシーも。

【障害者はわきまえるべきか】
 電動車椅子を使って生活する障害者でコラムニスト
 伊是名(いぜな)夏子さんのブログ

 
この話を母にしたら、
こんなコロナって騒いでいる中で 
  人の手を借りてまで 旅行に行く事が間違いだよ。

駅員さんだって4人も集まればコロナの感染気にする。
今の車椅子は軽量だよ。人に運んでもらうなら軽い車椅子にしないと。

M:「母ちゃん、車椅子で出かけて嫌な思いしてるか?」
母:「全然。助けてもらってばっかり」
M:「ありがたいな」
母:「ありがたいねぇ、有難うは魔法の言葉だねぇ」

母は一度も不快な思いをした事がないと言う。
反対に若い時、車椅子を押す私の方が恥ずかしい思いをした。
人様の視線が気になって、あまり連れ出さなかった。
良くも悪くも世間で話題にでる事は有難い。 
車椅子を押してても、誰も気にしなくなったから。
「手伝う事ありますか?」なんて、声を掛けてくれる人も居る。

障害者にとって、障害者の家族にとって、一番切ないのは「私には関係ない」の無関心だろう。

どうぞこれからも 優しい世の中でありますように。